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 このコラムを「万葉広場」と名付けました。
万葉集の名にあるように万葉とはよろずの言の葉を意味しています。 私たちが便利に使っている葉書にも葉の字が使われています。 戦国時代にタラヨウという木の葉の裏に文字を書き情報のやり取りをしたのが葉書の由来だそうです。
 「万葉広場」はいのちの電話の活動を推進している私たちが、日頃思っていること、 感じていること、心掛けていることなど、その一端を皆様に紹介する「言葉の広場」です。

column18 「桜桃(ゆすらうめ)の味」に出会って

イラスト19

  日本ロゴセラピスト協会論集注)に映画「桜桃の味」のストーリーの紹介がありました。自殺しようと思った男性が、ちょっとしたことで生きる価値を見つけるお話です。
注)ロゴセラピーは、ナチの収容所での体験を書いた本”夜と霧”の著者ヴィクトル・フランクルが、自らの収容所体験でいつガス室に送られるかの極限の中でも生きる目的を見出した人は苦しい生活に耐えようとし、もうだめだと思った人は健康を害して ガス室に送られていったことから、”人生には生きる目的が必要”との考えで始めた療法です。

映画 ”桜桃の味”
http://www.asahi-net.or.jp/~we7n-hkt/kiarosutami.html より引用(一部省略)
 この作品は、一人の中年男(バディ)が、車を運転しながら自分の自殺を手伝って くれる人を探してまわるという話です。
「私は、夜に睡眠薬を飲んで穴の中に横たわる。
そしたら君は次の朝に来て、穴の中の私を呼んでほしい。
返事がなかったらそのまま埋めてほしい」というのが中年男のお願いなのですが、 最初に頼んだ若い兵士には逃げられ、神学生には申し出を拒否される。
三人目の老人はこの申し出を受け入れるが、中年男に次のような話をします。

 一つ、わしの思い出を話そう。結婚したばかりの頃だ。生活は苦しく、すべてが悪くなるばかりだ。
わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。
もう限界だとね。ある朝暗いうちに、車にロープを積んで家を出た。
わしは固く決意してた、自殺しようと。わしは家の側の果樹園に入っていった。
1本の桑の木があった。まだあたりは真っ暗でね。
ロープを投げたが枝に掛からない。
1度投げてだめ、2度投げてもだめ。とうとう木に登ってロープを枝に結んだ。
すると手に何か柔らかいものが触れた。熟れた桑の実だった。一つ食べた。
甘かった……。二つ食べ、三つ食べ……、いつの間にか夜が明け、 山の向こうに日が昇ってきた。
美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こえてきた。
子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。
皆、落ちた実を食べた。わしは嬉しくなった。
それで、桑の実を摘んで家に持って帰った。
妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実を食べた。
美味しいと言ってね。わしは死を置き忘れて桑の実を持って帰った。
桑の実に命を救われた。 桑の実に命を救われた。

  一つ笑い話をしよう。ある人が医者に言って訴えた。
“先生、指で体を触るとあらゆる所が痛い、頭を触ると頭が痛い、足を触ると足が痛い、腹も痛い、手も痛い、どこもかしこも痛い。”
医者は男を診察してこう言った。
“体はなんともない、ただ、指が折れている。”と。

あんたの体はなんともない、ただ考えが病気なだけだ。
わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。
ほんの小さな桑の実に。あんたの目がみてる世界は本当の世界と違う。
見方を変えれば世界が変わる、幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。

人生は汽車のようなものだ。
前へ前へただ走っていく、そして最後に終着駅に着く。
そこが死の国だ。死はひとつの解決法だが、
旅の途中に実行してしまったらダメだ。
 すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか? 桜桃の味を忘れてしまうのか?

 桜桃は“ゆすらうめ”だということを初めて知りました。ゆすらうめは実家の庭にあり、毎年実がなるのを楽しみにしていました。甘酸っぱい美味しかった思い出があります。冷やしたゆすらうめを食べるていると幸せでした。 「桜桃の味」の映画と小さい時の思い出が繋がり驚きました。桜桃の写真をWebで見た時の驚きは、懐かしく、心が温かくなった感動でした。生きているとこういうプレゼントもあるのですね。

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