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サマリタンズホームページより/第14号

 

2016年10月17日発行

■自殺の電話

解題:7号、9号、11号に引き続き、ノッティンガム大学による研究報告書「サマリタンズが行う電話およびEメールによる情緒的援助サービスの評価」から、今回は、「自殺」と題した第8章を抄訳した。 サマリタンズの方針として「自己決定」が重視されていること。掛け手があくまで自殺することを望む場合には、受け手もそれを受け入れることが強調されている点など、イギリスと日本の風土の違いも感じられて興味深い。

自殺の恐れがある人からの電話に対処する


 自殺の恐れがある人からの電話に対処し処理することについて論ずる際、ボランティアたちは、サマリタンズでいつもやっている手順に従うと述べることが多い。掛け手の話に耳を傾ける、掛け手のために「そこにいる」、 相手の気持ちに注意を集中する、批判しない、掛け手の選択を尊重する、などはみな、自殺の恐れがある人を支えるやり方の一部だと論じられている。

 ―――いつもやっているのとはすごく違ったことをしようとしているのかどうかは、よくわかりません。同じやり方だと思いますよ。(訳注1)



 掛け手の力になっているときに、他のボランティアからの支援を受けるというのが、自殺の恐れがある人と電話で話す際に一般的に報告されているやり方である。この支援は、組織内の支援体制を通してなされる場合もあれば、当番に入っている(電話を受けている)同僚ボランティアから支援してもらうというやり方による場合もある。

 この支援を利用することでボランティアは、何を言い・何をすべきかを知ることができ、また、すべて正しくやっているという保証を得ることができ、さらには、自殺の恐れがある人を支える一方で、自分自身も支えられているという安心感を得ることができる。

 ―――そこが、私が同僚を必要とするところなんです。自分が何もかもやっているということを確かめるためだけなんですけどね。それが私を支えてくれるんです。



 深刻な自殺の恐れを抱えている掛け手を援助しているときに、ボランティアがどのように振る舞い・どのように感じているかについての、非常に興味深い報告がある。それによるとボランティアは、とても真剣な態度で掛け手に焦点を合わせたり、自分のあり方を変えたり、さらにはいつもとは異なる種類の支持的な振る舞い方へと自らを切り替えることさえある。

 それはあたかもボランティアが、自分の周囲のあらゆること、時には自分自身が感じていることからさえ、超然となるかのようである。それは天性のものであるかもしれないし、研修の中で学んだことかもしれないし、全く自然のままの・無意識のプロセスかもしれない。自殺する恐れが高い掛け手からの電話に対処し扱うのはそれほど難しいことではないとボランティアが時に言うのも、おそらくこのプロセスのおかげである。

 ―――そうした電話によって私たちは、いわば肉体的・精神的・感情的にしゃんとした状態になり、いうなれば自殺したくなる状況に自分が直面させられているような感じになるんです。そして、私たちの全能力が少し鋭敏になるみたいな気がします。ですから、そうした電話がいちばん難しい電話だとは私は思いません。

 ―――思うに、私たちはまさしくそれに取り組むわけですが、そのとき、私の直感が優勢になり、電話の外で何が起こっているかも記憶から失せてしまいます。そうして私は本当の意味で、掛け手に対して十分に焦点を合わせるんです。だからといって私たちが何かを感じているわけではなく、私が感じている様を口で言うことはできません。なぜなら、電話に全力で向き合っていて、精いっぱい対処し、まさしく注意を集中しているからです。



■自殺の防止と介入

 ボランティアたちが論ずるところによれば、掛け手が今にも自殺を図りそうな場合でも、ふつうは介入しない。でも、掛け手に対して傾聴と援助を提供することによって、せめていくつかの自殺は防ぎたいと望んでいる。

 万一掛け手が電話中に、いま自殺を図っているところだと述べた場合は、ボランティアは、掛け手が何らかの介入を望んでいるかどうかを尋ねる。この介入は、ボランティアの提案を掛け手が受け入れた場合にのみ行われるだろう (もっともそれは、掛け手が支部に来ている場合とか、掛け手が自分の連絡先を教えてくれた後に意識不明になった場合を除いてだが)。

 自殺の恐れがある掛け手を援助している最中であっても、掛け手が介入を望まないと言う場合は、自己決定の方針に従ってボランティアは、自殺したいという掛け手の意志を受け入れる。 しかし、そうした意志を持つ掛け手に対してどのように対応しているかに関してボランティアは、対話を積極的にリードし、掛け手を励まして掛け手の人生におけるプラス面に焦点を合わせるようにしたり、あるいは自殺することを考え直すようにし向けるやり方をとっていると述べている。

 より中立的な立場をとっていると述べるボランティアでさえ、掛け手に対して会話の中で、自殺に代わる別の道を見つける機会を提供していると述べている。

 ―――私の役割は、死んではいけない、世の中には他の選択もある、と伝えることではありません。あなたが熟練した受け手であれば、あなたは他の論点を探ることができるでしょう。自殺したくなった理由の先を見ることができるようなやり方で。あなたは時には、相手がもう一つの道を見出すよう、まさにその特別な瞬間に相手を援助することができると思います。

 ―――以前は何をしていたのかとか、あなたの人生はどんな感じになりそうと思っているかとか、そういう様々な質問をすることで何かを探すんです。そうやってプラス面を探して、それをふくらませていくんです。



 前の章でわれわれは、何をすべきかを伝えるのでも、指示や助言を与えるのでもなく、掛け手が自分自身の選択肢や解決法を見出すように援助しようとするボランティアのやり方について議論したが、上のような事実はそうした議論を支持している。しかしながら、自殺の恐れがある掛け手との対話をリードして、プラス面を話し合ったり、自殺に代わる他の道について話し合うよう導くことは、「掛け手に指示するのではなく、掛け手の話を傾聴する」というサマリタンズの信念と整合性をとる上で難しい事態を招く可能性がある。

 多くの場合ボランティアは、自分たちはただ基準通りに、すなわちサマリタンズのやり方で自殺の恐れがある掛け手を援助しているだけだと主張する。どちらのやり方をとるにせよ、自殺を図る人の数を減らすことが、それでもなお望まれていることであり、目指されていることなのである。

 ―――あなたが誰かの話に耳を傾けるとき、相手が話していることをあなたが認めるならば、相手はあなたが価値判断を持ち込んでいないこと、あなたが相手の最も深い気持ちに立ち会っていることを知ることになります。相手の話を真剣に受け止めるというのは、誰もができることではないんです。困難な事柄に耳を傾け、それでもあなた自身は取り乱さない・・・。私たちは自殺防止にのめり込むことはしません。もしそうしたら、人々は今のようには、たぶん電話してくれなくなるからです。



 自殺する決心をすることについてボランティアは、それは一般的に言って非常に過酷な状況のせいだと話している。さらに、そうした決心をする掛け手の能力に、精神疾患がどのように影響を及ぼし得るかについても、ボランティアは折に触れて論じている(精神疾患のケースでは、サマリタンズは掛け手を十分援助できない可能性があるとも主張している)。

 程度の差はあるにせよ明らかなことは、自殺することを理性的に決断した掛け手と、精神疾患のせいで衝動が駆り立てられ、他の方法を考慮する能力が失われている掛け手との間には違いがあるということだ。衝動に駆り立てられたこれらの自殺は、ボランティアの目から見ると、より予防的な対応を必要とするものであり、かつサマリタンズによる援助の主要な対象なのである。自殺防止というサマリタンズの特色は、長いあいだ自殺したいと思ってきた訳ではない人びと、すなわち突然とか一時的な自殺指向の局面にある人々の間でこそ、最もうまく機能すると提案するボランティアもいる。

 ―――人には確かに自殺する権利があります。でも、人が躁病相の時・・・それは精神を病んでいる人に生ずる、そして自殺への衝動を感じているところで生ずる、一つの逢魔が時なのです。ですから、そうした瞬間に何かが介入しさえすればそれは生じない可能性があると、私たちはいつも考えています。私にとってはそれが、サマリタンズの大きな役割なのです。

 ―――私たちの活動の本当の影響力は、決心がつかずに悩んでいる人々の間でこそ発揮されます。自殺したいと感じているほとんどの人は、実は感情的・精神的な混乱状態とでも呼ぶべき状態にいるのです。ですからそういう人は収拾がつかなくなって、さまざまなことに注意を向けることがほとんどできなくなっているのです。
そして、この責めさいなむ苦しみから抜け出す唯一の道、彼らの目に映るたった一つの道が自身の死となるのです。それゆえその混乱状態を静めることができるのはただ、彼らは何を望んでいるのか、他の可能な選択肢は何なのかについて考えてみるように、その人たちを援助することなのです。それが、そうした人に対する大きな贈り物だと思うのです。



 この問題は、自殺と衝動性との結びつきに関連している。自殺行為は、意図の有無にかかわらず、死にたいという突然の衝動によって起こるのであろう。これに対する援助が根拠にしているのは、多くの既遂自殺は事前の十分な計画なしに行われているように見えること、さらに自殺を企てた多くの人が、自殺しようと思ってから行動に移すまでに15分もかからなかったと述べているという二つの調査結果である。この分野では多くの論争が行われている。

 衝動型(訳注2)という心理学上の構成概念(訳注3)(それは一つの性格特性と考えられている)は、突然の衝動に駆られて自殺を図る人よりもむしろ、意図と計画を持って自殺を企てる人の中にこそより多く見出されることがわかってきている。性格特性としての衝動型はまた、先行する自殺念慮の気持ちとも強く結びついている。衝動型という性格概念は、無計画で突発的に行われる自殺行為の衝動要素とは関連していないかもしれない。この分野の研究に関して最近行われた系統的な再検討によれば、絶望が、自殺との結びつきが繰り返し見出される主要な特性の一つであることが明らかになっている(衝動型の役割を明らかにするために、さらなる研究が必要であるが)。

 米国で最近行われた精神保健をめぐる大規模かつ全国的な研究によれば、以下の事実が明らかになっている。すなわち、鬱病性障害の人が死にたいという気持ちを持ち始めるとき、その人が鬱病性障害だけではなく他の障害(とりわけ不安障害、神経症性障害、あるいは衝動のコントロールを低下させる行為障害、薬物乱用障害など)も併発している場合、そのこと自体が自殺行為を予想させる、より強い兆候となる。

 衝動制御(Im-pulse control)という概念は、いくつかの障害を関連づけるために用いられてきた。というのは、衝動をコントロールする力を弱めるこれらの障害は、自殺の重要な要因であることが明らかになっているからである。性格特性としての衝動型よりはむしろ障害の一要素としての衝動制御(訳注4)こそ、突然の衝動に駆られて行われる自殺行為とより強く関係しているのであろう。

■自己決定に関するサマリタンズの方針

 自殺の件数を減らしたいという願い(および組織の目的)と、サマリタンズの最も重要な原則である「自己決定」との間には、潜在的な緊張関係がある。ここで言う「自己決定」とは、いつ・どのように自らの生涯を終えるかを含め、自らの人生についての選択を行う個人の権利を尊重し支持する立場のことである。ここでは、結果に関して中立的な立場を示し続けることが、「専門家」の姿勢として求められる。しかしこれは明らかに、ボランティアに対して多くのことを問いかけることになる。


 ―――自殺しないことに決めた人から、あなたが本当に心からの喜びをいつも得ているとしたら、それはどうなんでしょうねえ。私は、そのことから満足感だけでなく、喜びも慰めも感じないようにしたいと思っているからです。それは必ずしもセットになっているわけではないからです。

 ―――研修の間ずっと、私は自己決定について疑問に思っていました。というのは、普通の人間であれば、実際に自殺を実行中だと言っている人と電話で話し、その話に耳を傾け理解しようとするのは、本当に本当に難しいことだからです。



 ボランティアは、自己決定の方針を受け入れ、たいていはその方針に強く拘束されている。研修を受けているあいだ、この問題には難しさを感じたと述べるボランティアもいるが、ほとんどのボランティアは、この方針に従って、掛け手が自殺を図っている最中であるように思える場合も、掛け手に対して援助を受けることを強制も強要もしないと報告している(気が転倒し、掛け手に生きていてほしいと願う時ですらそうである)。

掛け手が万一それを望むのなら、掛け手には自殺する権利があることを、ボランティアは受け入れ、また個人としてもそう信じているようだ。しかしながら、すべてのボランティアが当番の最中に、実行中の自殺を経験したことがあるわけではないので、このことはおそらく確かめられてはいない。

 自己決定の方針と、人が持つ自殺への権利を尊重する一方で、掛け手に援助を受けて欲しいと望むことが多いと、ボランティアは述べている。これは典型的には、掛け手の住所に救急車を派遣するという形を取る。

 ―――薬を飲んだと言う掛け手に対して私は繰り返し、「助けてほしいですか?」と尋ねます。そしてあらゆる機会をとらえて、電話で救急車を呼ぶように説得する努力をします。

 ―――サマリタンズの言い方は、「もしあなたが自殺したい気がしているのなら、私たちはそれを受け入れます。でも、もしあなたが援助を求めるのなら、それならそれも大丈夫です」というものである。



 こうした介入を、有意義で肯定的な行為だととらえているボランティアもいる。というのは、そうすることでボランティアたちは、自分たちは決められた手順に従っており、掛け手のために自分たちにできるすべてのことをやっていると感じられるようになるからだ。救急車を派遣することは、場合によっては疑問の余地を残すかもしれない。というのは、自分のところに救急車を繰り返し派遣させる掛け手がいて、そのため救急隊も、急行することを問題にし始めている可能性があるからだ。

 最初の電話で掛け手が連絡先を教え、次の電話の間に自殺を図って意識不明になったような場合、こうした介入をすることはボランティアにとって対処するのが難しいものになるかもしれない。以上のような理由から、望ましい慣例として掛け手に自ら救急隊に連絡を取らせることが、サマリタンズにとっての必然的な選択肢だと考えられている。電話の最中に現在起きていることについて何らかの疑念がある場合にボランティアが通常選択するのは、失敗を辞さずに生きる側に賭けて救急車を手配することである。そして、掛け手が本当に望むのが死ぬことであるのなら、掛け手は次の機会にも死ぬことができる、と自分に言い聞かせるのである。

 ―――自己決定とは、人間には自殺する権利があることを認める立場です。そして私たちは自殺を妨げるべきではないし、妨げることもしません。でも・・・私たちは生きることを支持しています。・・・人は一度しか死ぬことができません。・・・前提にあるのは、その人が意識を取り戻し・・・もし本当に本当に本当に死にたいのなら、それでもなおそこから立ち去り、自殺できるということです。

出典:Home > About us > Our research > Independent re-search projects > Completed research projects > Re- search report:Evaluation of Samaritans Emotion-al Support Services




(訳注1)この調査報告書を作成するに当たって研究班は、1357人の掛け手に対しインタビューを行うと共に、66人のボランティアに対しても対面または電話による個別面接を行っている。ここに斜体で引用されているのは、オンライン上または対面によるそのインタビューに対する回答の一部である。

(訳注2)人の認知スタイルを捉える一つの概念。個々人は反応のタイプにおいて、反応(判断)は遅いけれども誤りが少ないタイプと、反応は速いけれども誤りが多いタイプに分けられるとされ、前者を熟慮型、後者を衝動型とよぶ。全般的な発達的傾向としては衝動型から熟慮型に少しずつ移行していくが、文化的な差異によっても影響をうける。

(訳注3)実験結果や観察結果を統一的に説明するために理論構成上導入される概念。

(訳注4)前後の文脈から考えて、ここは「衝動制御障害(自他を傷つける危険な行為の衝動、動因、誘惑への抵抗の失敗によって特徴づけられる障害)」のことではないかと思われる。

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