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 このコラムを「万葉広場」と名付けました。
万葉集の名にあるように万葉とはよろずの言の葉を意味しています。 私たちが便利に使っている葉書にも葉の字が使われています。 戦国時代にタラヨウという木の葉の裏に文字を書き情報のやり取りをしたのが葉書の由来だそうです。
 「万葉広場」はいのちの電話の活動を推進している私たちが、日頃思っていること、 感じていること、心掛けていることなど、その一端を皆様に紹介する「言葉の広場」です。

column15  サラエボの悲劇

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過日、NHKBSプレミアムの「旅の力」という番組の後半部を観ることが出来た。角田光代さんがサラエボを訪ね、20年前のサラエボの紛争のさなかに、そしてその後、 人々がどんな風に暮らしてきたのか、東日本大震災で被災した人々と重ね、人々が悲しみとどう向き合ってきたのかを探索するための旅という内容だったと思う。

その中で、紛争が終結した20年前、当時4歳だった青年が、周りの人が教えてくれた紛争の事実を風化させてはいけないと、紛争当時書かれた市民の日記を、一冊の本にまとめたということが、紹介されていた。
それを実現させた青年を突き動かしたものは、過去を過去として葬ってしまうことの無念さと祖国への篤い思いだったのだろうと想像され、彼の行動の力強さに感動がこみ上げ、からだが少し震えた。
砲弾で、いつ命を奪われるかも知れない状況下にあって、人々がそれぞれに日常としての生活を、当たり前のことのように過ごしていたという。
多民族が混在して暮らしていた区域では、紛争前にはお互いを尊重するような許容の大きさがあって、ほどほどの距離間で暮らせていたのが、紛争が始まってからは、いつ誰が敵になるかも知れない不信感と共に過ごすことになったとか。
しかし、紛争が終わると、人々は徐々に、またもとの生活感覚を取り戻していったという。

紛争のさなか、人々は楽しむことを忘れなかった、ということが語られていた。
音楽鑑賞・観劇など、人々は、今以上に劇場に足を運んでいたと。
ある音楽家は、イギリスでの演奏活動を終えた時、帰国するのは危険なのでイギリスに留まるように説得されたが、愛する祖国に帰ることに何の躊躇も無かった、と語った。
そして、人間はこんなにも残酷になれるものかと思ったこと、それを憎むというより、 人間性を失った彼等をとても哀れに感じた、と言った言葉には、人間の中にある神に通ずる深い慈愛の思いをみたような気がした。
番組の終わりに、マイクを向けられた初老の元気な男性2人が、口を揃えて「芸術を奪われてたまるか!」と眼力とともに放った言葉に、脱帽。
庶民が芸術を楽しむDNAは、陸続きの国境を越えて、永い年月を掛け、多くの民族のるつぼの中で培われてきたものなのだろうと思う。

この番組で紹介された人達の思いは、いずれもフランクルの「夜と霧」を連想させるような精神性を持ったものに思えて、生きる望みを失わない在り方のひとつの例として、とても印象に残った。

東日本大震災で被災された人々が、色々な芸能活動のボランティアを受けたり、また、自分たちで活動する中で、元気を貰ったりすることと、どこか通じるものがあると思う。
心が揺さぶられたり、幸福感に包まれたり、熱い涙がこみあげてきたりと、日常とは違う様々な感情が動くことの体験によって、悲しみ色と共存しつつも生きていける力を得ることになるのではなかろうか。

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