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 このコラムを「万葉広場」と名付けました。
万葉集の名にあるように万葉とはよろずの言の葉を意味しています。 私たちが便利に使っている葉書にも葉の字が使われています。 戦国時代にタラヨウという木の葉の裏に文字を書き情報のやり取りをしたのが葉書の由来だそうです。
 「万葉広場」はいのちの電話の活動を推進している私たちが、日頃思っていること、 感じていること、心掛けていることなど、その一端を皆様に紹介する「言葉の広場」です。

コラム41 「お先にどうぞ」


お先にどうぞイラスト
 秋の夕暮れはつるべ落としといいますが、帰りのラッシュアワーの前に暗くなってしまいます。
 そんなある日、座席が無くて数人が立っている状態の電車の中で、優先席の通路に1台の身障者用のバギーが静かに入ってきました。5〜6歳の男の子が乗せられていました。すると優先席に腰掛けていた乗客の視線が一斉に男の子の靴に注がれました。男の子は、一見して肢体が不自由な人が履く補強用と分かる靴を履いていたからです。一瞬、空気が重くなり、おしゃべりしていた人も押し黙ってしまいました。

 その数日前に新聞で、障害を持つ本人、家族が、人の視線が気になって行動を制限してしまっていることや、周囲がどう接していいのか分からないことも含めた無関心、心無い言葉を浴びせられることなどで孤立感を感じているという記事を読んだばかりでしたので、こういうことなのかと納得しました。
 何か言葉を掛けたいと思っても、どんな言葉を掛けていいのかわからない。その時の私もそうでした。

 すると突然、男の子は電車の発車前のアナウンスを真似て、「ドアが閉まりますのでご注意下さい。危ないですから次の電車をご利用下さい。プシュー」とドアの音を加え、更に「うーん」と加速する音まで加えたのです。次の駅に近づくと、車内アナウンスも真似、「次は○▲です。右のドアが開きます」と。
 思い掛けない彼のパフォーマンスに、空気が少し和みました。「電車に乗るのが好きなんです」男の子のお母さんが言いました。彼には表情筋にも麻痺の影響があるのか、表情の変化はさほどありませんでした。

 そんな彼のパフォーマンスにちょっかいを出そうと、悪戯好きな私の心が動きました。「○▲の次はどこですかぁ?」次の駅名がアナウンスされそうな頃を見計らって質問すると、彼はお母さんを見上げました。お母さんが「□◆でしょ」と応え、彼が「□◆ってなあに?」「駅の名前よ」とお母さん。
 そんなやり取りが何回かあった後、「次はおばちゃんが降りる駅でぇす」と私が言うと、「私たちも降ります」とお母さん。偶然にも降りる駅が同じだったのです。

 バギーが最後にホームに降りてから彼に握手を求めると、私の右手の人さし指を強く握りました。子どもの温かい体温が伝わって来ました。お母さんが「HARU(仮名)離しなさい。おばちゃん遅くなっちゃうから」と言っても一向に離す気配が無いので、エレベーターで一緒に改札階に行くことにしました。

 丁度エレベーターが降りてきてドアが開いた時、彼は「お先にどうぞ」と言って私の指を離しました。 その声と語り口の何と優しいこと。この年齢の子供が自然にそんな言葉を発するとは思ってもいませんでしたので、HARU君を急に大人びて感じました。きっとお母さんの語り口そっくりなのでしょう。
 そして、このお母さんがどんな思いで日々を過ごしているのか、垣間見たような気がしました。常に人の邪魔にならないように気遣い、違う世界を生きているような思いを抱えながら、子どものために一人で頑張っている姿が想像されました。お顔には経年の苦悩の表情皺が見られ、軽々しく声を掛けられないような気がして、心残りのまま別れました。

 またHARU君と出会えたら、そしてお邪魔でなければどこかに一緒に出掛け、お母さんの話し相手にもなれたらいいな、そんなことが叶ったらいいなと願っています。 

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