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 このコラムを「万葉広場」と名付けました。
万葉集の名にあるように万葉とはよろずの言の葉を意味しています。 私たちが便利に使っている葉書にも葉の字が使われています。 戦国時代にタラヨウという木の葉の裏に文字を書き情報のやり取りをしたのが葉書の由来だそうです。
 「万葉広場」はいのちの電話の活動を推進している私たちが、日頃思っていること、 感じていること、心掛けていることなど、その一端を皆様に紹介する「言葉の広場」です。

column21 手足と胃袋

イラスト15

 寓話 岩波文庫 ラ・フォンテーヌ作 今野一雄訳より
 話の内容(中略);
胃袋のために働くのが嫌になって、手足はそれぞれ、貴族として、何もしないで暮らすことにきめた。「我々がいなければ」とかれらは言った。
「彼は空気を吸って生きねばならない。われわれは駄獣のように、汗を流し、辛い仕事をしている。それも誰のために? ただ彼のために。我々の労苦は結局、彼に食事を提供しているにすぎない。仕事をやめよう。」 手は取ることをやめ、腕は動くことを、足は歩くことをやめる。

 みんなは胃袋に、何でも自分で探しにいったらよかろう、と言った。
 これは間違いで、やがて、哀れな連中はすっかり衰弱してしまった。 心臓には新しい血液が造られなくなった。手足はみんなそのために苦しみ、力がなくなった。

 このことは国王にも当てはめることができる。王は受けて与える、同等のものを。 全てが王のために働き、そのかわりに、全てが王から食いぶちをひきだす。

 メネニウス(ローマの執政)はそれを分かり易く語ることができた。
 不平分子は、貴族だけが国土、権力、財力、名誉、地位をもっていて、年貢、税金、兵役、骨の折れることはすべて自分たちの肩にかかる、と言った。
 そのときメネニウスが彼らにわからせた、人民は手足と同じようなものであることを。
 そして、寓話のなかでもよく知られているこのたとえ話によって、かれらをその任務につれもどした。

 とこんな風な話である。 う〜ん。 唸るのみで思考が止まった。

 それは、自分に与えられた役目を自分は自覚して生きてきただろうか、という大きな命題に突き当たってしまったからである。
 自分のいたらなさを棚に上げ、自分の人生を呪ったこと、他人の人生を羨んだことはなかっただろうか。 恨み・つらみ・妬み・そねみ・自己嫌悪 嫌いな自分・そうでもない自分がいて苦しくもあった。
 自分を丸ごと抱えていくしかないのだと思えた時、目の前にあるものをなおざりしていたことに気付いた。

 自分の人生を真正面から受け容れ、それでいいと自分に言える時は、いつかきっと訪れるものなのだろう。
 その時に役目の意味を、ほんの少し理解できるのかもしれない。

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